白血病を克服したらっくんと母の奮闘ブログ

1歳で白血病と診断され、何度も復活してきたらっくんと治療を支える母の病気乗り越えブログ。現在6歳のらっくんと家族の日々の楽しい話題をシェアしたいと思います!

てぃーだイチオシ

白血病小児がん現在のらっくん

お久しぶりです、らっくん母です。

前回が小学校卒業の記事でしたから、
あれから2年です。

らっくんは中学3年生になりました。
肢体不自由児の特別支援学校に通っています。

らっくんは受験生と言われるお年頃ですが、
来年からは、通信の学校を選んでいますので、
お気楽な毎日を過ごしています♪

学校に通うのは、あと8ヶ月ほど。
今にしかできないことを
どんどんやってほしいです。



さて、
最後の骨髄移植をしてから
もう10年になります。

あれからどんな変化があったでしょうか?

【身体的なこと】

血液の方は全く問題なく過ごしています。

今も3ヶ月ごとに血液検査をしています。

血液の方は問題ないのですが、
ホルモンの値(甲状腺ホルモンや成長ホルモン)が低く
「処置後甲状腺機能低下症」という病名で治療をしています。
チラージンというお薬を飲んでいます。

中学に入ってから、よく食べる食べる。。

小5の頃に成長ホルモン治療をするかどうか
内分泌の先生と話し合ったことがありました。

成長期に背を伸ばせないと
大人になった時に140センチくらいで止まるということを
知らされ、一時期は成長ホルモンを打ってみるかなと
試してみました。

しかし、毎日おしりに注射を母が打つことに
ものすごく抵抗があり、(痛いから)

結局、【僕は背が低くてもかまわない!】と
宣言して、成長ホルモン治療はやめてしまいました。


毎日打つのは、母もらっくんも
精神的に辛かったです。

それより「背が低くても自分は自分」と
この時期(思春期の始まり)に宣言できたのは
素晴らしいなと思いました。


今中学3年生ですが、140センチあります。
もっと伸びても伸びなくても、気にしないそうです。

だって、普段から車椅子や杖歩行で
人にジロジロ見られてるので、
背が低いとか、これは自分の特徴であり、
病気を克服した証だと思っているようです。

だから、全然平気!ならっくんです。

そうして、毎日楽しく暮らしていましたが、
1歳半からお世話になっている沖縄でナンバーワンの主治医が
昇進されて病院を去ることになってしまいました。

らっくんが大人になるまで
観ていただきたいと思っていたのですが、
とても寂しいお別れです。

いやでも、ここまで生きてこれたことは
この主治医の先生のおかげなので、
寂しいですが、きちんとお礼を言ってお別れしました。


そして、血液の先生が変わり、
あることが発覚しました。。。。

血糖値が高く、
肝臓に脂肪がついている


つまり、
糖尿病&脂肪肝

です!

らっくん母も同じなので、
対策は同じ食事療法と運動です。

発覚したのが最近なので、
今後の検査や治療はこちらがメインになってきます。

これを聞いた時は
さすがに私もらっくんもショックでした。

こんな早いうちから、
糖尿と脂肪肝、、、、

将来が思いやられる。。。

と凹みましたが、

がんが再発したわけでないし、
食事に気をつけることは
一生健康でいるためには必要なことなので、
今からそれができてラッキーだった!と思うことにしました。

その他、困っていることは、
皮膚のかゆみくらいです。

眼科と歯医者にも時々通っています。

あとは、普通の生活を送れているので、
こちらでご報告させていただきます。

小児がんを克服して
進学や進路を考えている仲間たちに
すこしでも情報が提供できればいいなと思っています。


らっくんは、相変わらず
パソコンが得意です。

コロナで学校が休みになった時、
2020年4月に学校と準備して
いち早くオンライン授業をやり始めました。

らっくんのiPadの準備など
母は一切ノータッチ。
全部自分でやりました。

これは全国でもけっこう早く小学生ながら
オンライン授業を開始したので、
表彰されたようです。

教育委員会主催のセミナーに
学校の先生(これからオンライン授業を始めようと思っている教職員)相手に
セミナー講師として話をしました。(オンラインで)

先生たちの質疑応答にもしっかりと答えていて
母はびっくりしました。

それから、自治会の高齢者向けに
スマホ教室を開いたり、

らっくん母の仕事を手伝ったり
しています。

らっくん母は、姓名判断鑑定士になり、
2022年11月に株式会社を設立しました。
2023年1月には一般社団法人日本おなまえスペシャリスト協会を立ち上げ

らっくんは、中学生ながら個人事業主となり、
一緒に仕事をしています。

ホームページやオンライン授業
法人化の手続き、経理計算などの業務をこなしています。

法人化手続きの話なららっくんが相談に乗れます。
ほとんど手続きは彼がやりました。



母は、あっちへ言って書類もらってきて〜
など、指示されたとおりに動いただけです。

よろしければこちらを御覧くださいね。

https://ameblo.jp/kanon-okinawa

日本おなまえスペシャリスト協会

https://www.onamae-sp.com/onamaekantei/

ではでは、
またらっくんの節目にこのブログに投稿するかもしれません。

どうぞよろしくお願い致します。

らっくんと同じ病気と闘っている方たち
お子さんが病気と闘っているご家族みなさま
すべての皆様に愛とエールを送ります✨

えいえいおー









お久しぶりです、らっくん母です。

2021年3月
らっくん、小学校を無事に卒業いたしました!

たくさんの人たちに支えられ、
無事にここまで成長できたことを思うと
本当に胸がいっぱいになります。

感謝感謝です。




小学校入学の時は、
車椅子に座るのもやっとで、

細くて、顔の青い
無菌室から出てきたばかりの
赤ちゃんみたいだった子を

特別支援学校の先生たちに
一丁前の小学生にしていただきました。

6年生のらっくんは、
筋肉も付いて、杖歩行できるようになりました。

足の長さは左が短く
膝に拘縮が残っています。

ですが、しっかりと自分の体重を支え、
一日中、杖を使って過ごせるほどになりました。

血液検査も問題なく、
内分泌(ホルモン系)は

成長ホルモン、甲状腺ホルモンの出が悪いですが、
思春期ホルモンは普通に出ているそうです。

体は普通の小学6年生より小さいけど
体の中では、大人に向けて準備が進んでいるようです。

身長は、pepperと同じくらい。

小学校ではpepperが友達です。
プログラミングして、
毎日のお天気、気温、湿度をしゃべらせたり、
コントや寸劇をやったりしていました。

卒業とともにpepperともお別れです。




そして、卒業にむけて、
らっくんはあるプロジェクトを企画して実行しました。


さて、何でしょう??


皆さんは「ヘアドネーション」をご存知ですか?

がんの治療で、髪の毛を失った人へ
髪の毛を寄付するボランティアです。

らっくんも治療中は髪の毛が抜けましたが、
治療が終わると、ちゃんと生えてきました。

好きなYOUTUBERさんが
ヘアドネーションをするのを見て、

らっくんも「やりたい!」と
4年生の3月ごろから伸ばしはじめました。



さあ、ここからが大変。(母が)

まず、、

①見た目

誰からも「女の子みたい!」と言われます。

初めましての人には、ほぼ女の子と思われます。

先生からは、「暑そう」「前髪がじゃま」
家族からも、「暑苦しい」「髪がじゃま」と
よく踏まれて痛い思いをしました。

②シャンプーが大変

お風呂は一人では入れません。
何度か滑ったり、転んだり、
溺れそうになったりしたので、
いまだに付き添いが必要です。

もちろん、シャンプーも一人ではできませんでした。

でも、学校の授業で
「ひとりで体を洗う、髪を洗う」という指導があり、
週2回、学校で、髪を洗う授業がありました。

なんとかシャンプーの真似事くらいはできるようになりましたが、
31センチ伸ばすまで、本当に大変でした。

③毎日のケア

学校にはボサボサのままでは行けないので、
毎日、ツインテールにしていました。

とかすのは、らっくんが痛がるので辛い時間でした。


でも、とうとう、、、

ドネーションする日が決まりました。

なんと、卒業式の前日です。

学校の先生には内緒で、
サッパリした頭で卒業期を迎えることにしました。







母がハサミを入れました!
「切ったどー!」

つい、やってしまいました。


この日、琉球新報の記者さんが
取材に来てくれました。

らっくんの病気のこと、(病名が出てこなくてまいった母)
治療のこと、何度も命を救われたこと、

小学校に通ったことなどなど
お話ししていたら、記者さん、号泣。

次の日琉球新報の記事にしていただきました。




https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1288962.html


2年間、意思を貫いた姿は、
本当に立派でした。

学校の先生方に、会う人会う人に
切った髪を見て驚かれ、
「新聞見たよー」と言われ、

病院に行けば、会う人会う人に
「新聞見たよー」と言われました。

本当にたくさんの人たちに
見守ってもらえて、ここまで来ました。

4月からは中学生です。

らっくんが中学生になるなんて
あの頃は思いもしなかったことですが、

本当に現実になりました。

あの頃も今も
毎日、精一杯、やり残すことがないよう
1日1日を大事にしています。

そろそろ、将来のことも
現実として考えていかなくてはなりませんね。

生きていると、たくさんの悩みや
障害や、困りごとが現れてきます。

人よりもゆっくりな成長ですが、
らっくんらしく、
自分の道を楽しく、明るく歩んで行って欲しいと思います。

これまでらっくんに関わってくださった皆さま
本当にありがとうございました!
心より感謝しています。

長い文章最後までお読みいただき
ありがとうございます。

らっくん母




こんにちは、らっくん母です。
9月になりました。
だいぶご無沙汰しています。
お元気でお過ごしでしたでしょうか?

この9月でらっくんは最後の骨髄移植を行ってから、
5年という節目になります。

本人のらっくんは、とても元気にしています。

小児科、眼科、皮膚科には2〜3ヶ月に一度通院し
血液検査は問題なく、GVHDは、ドライアイ、皮膚のかゆみがある程度で、順調に過ごしています。

4年前、水疱瘡で入院して以来、ここ4年は一度も入院せず、
熱も出さず、風邪を引いても自力で直せるくらいの免疫力がついてきました。

入院〜退院、退院後1年は本当にいろいろなことがあり、
このブログにできるだけ詳細は書きましたが、
毎日、息もつけない日々を送っていました。

崖っぷちで綱渡りのような日々、
退院してもいつ何が起こるかわからない不安と闘いながら、
必死で過ごしてきました。


再発しやすい2年を過ぎてからは、
日常のことは落ち着いて過ごせるようになり、

3年過ぎてから、少し先のことが考えられるように、

そして今月やっと、やっと、
将来のことを現実として考えられる喜びを手にしています。

本当にありがとうございます。


さて、次の段階に進むらっくんは、
来月、とある手術を受けることにしました。

それは、歯の治療です。

普通の子なら、歯医者に通えば、虫歯は治せます。

らっくんの場合、

・永久歯がまばら

→1歳〜5歳まで大量化学療法で、強い治療を何度も行ったので永久歯がまばらな状態で生えている。

・虫歯になりやすい口内

→GVHDの影響で口が大きく開かない。粘膜が薄い、唾液が少ない、とにかく歯ブラシが入らず、少しの接触で傷がつき、出血。

これまで2年間のあいだ、歯医者に通っていましたが、歯科の先生から「全身麻酔をかけて、一度に治療した方がいい」とのことで、
来月、1泊の予定で入院、手術してきます。

この話を聞いた時には、怖くて泣いていたらっくんですが、
先生同席のもと、話を聞くうちに、治療に前向きになり、
今では(学校も休めるからか?)ノリノリで手術に臨んでいます。

5年過ぎて、これから永久歯とは長くお付き合いしなければならないので、早めの決断です。
これから歯磨きが楽になるといいなぁと思います。

その他、
治療の際に、顔に放射線をあてた故、両目に白内障があります。
右目は真ん中に白い濁りがあるので、少し見えにくいようで、斜めから見ることが多いです。

こちらは眼球が大人サイズに成長した頃、手術する予定です。

体は、普通の小学4年生に比べると、とても小さいかもしれません。
車椅子に乗っているせいもあり、幼稚園生に見られます。
5歳くらいの子の大きさです。

成長ホルモンを投与するには、リスクがあります。

もし体内にがん細胞が残っている場合、がん細胞も成長させてしまう恐れがあるので、寛解5年以上経ってから、気になるようならやります、と内分泌の先生からお言葉でした。

それを聞いて、成長ホルモンは今はいいです!と即答。

小さいといっても、成長はしているので、らっくんなりに成長していってくれればいいと考えています。

その他、第2次性徴など気になることがあれば、ブログにて綴りたいと思います。

とにかくようやくここまできた〜!
と、感謝の気持ちでいっぱいです。

これからもらっくんが元気で生きていけるよう
サポートしていきたいと思います。

また、ブログを通じて、ご縁があった方々とも
すべての治療が上手くいき、完全寛解し、日常生活が安心して送ることができるよう心から応援しています。

私にできることがあれば、全力でサポートしたいと思います。

辛い胸の内を吐き出したい、
話を聞いて欲しい、
一緒に祈って欲しい、
らっくんはこの時どうしたか?
など、いつでも相談にのりますので、
声をかけてくださいね。
一緒に乗り越えていきましょう。

現在、闘病中の方、毎日頑張っておられると思います。
きっときっと日常の生活に戻れると信じています。


最後になりましたが、
母がこんなに気苦労したらっくんの治療、
らっくんはすべてこれっぽっちも覚えていないんです!

すべて、忘れている!!
それもスゴイことですね。

どんどん前を向いて、キラキラ輝く人生を送ってください!




最後までお付き合いくださり、
ありがとうございます。





こんにちは、らっくん母です。

久しぶりにブログを読み返していて、
とても読みにくいことがわかりました。

治療経緯を時系列にまとめました。

初めての方はこちらをご覧くださいませ。

まず、こちらからお読みください。



⑴らっくん白血病と診断(2010年6月〜らっくん1歳半)





⑵治療開始(2010年6月末〜らっくん1歳半)








⑶1回目の骨髄移植(2010年7月〜10月らっくん1歳8ヶ月〜11ヶ月)







⑷GVHDとの闘い〜退院(2010年10月〜12月らっくん1歳11ヶ月〜2歳1ヶ月)









⑸再発〜カリニ肺炎(2011年5月〜8月らっくん2歳半〜9ヶ月)








⑹放射線治療(2011年9月〜らっくん2歳10ヶ月)





⑺再再発(2012年12月〜らっくん4歳1ヶ月〜)






⑻治療〜2回目の骨髄移植に向かって(2013年5月〜8月らっくん4歳半〜9ヶ月)









⑼2回目の骨髄移植〜退院(2013年8月〜12月らっくん4歳9ヶ月〜5歳1ヶ月)











その他のおすすめ記事です♪

☆退院後にあった入院や慢性GVHDについて

















☆天国へ旅立った子どもたち



2015/10/06


2016/07/15





☆人気の記事
















らっくんは元気にしています。


カレーオンザチップ

いつもブログをお読みいただき
ありがとうございます。

白血病学校現在のらっくん

お久しぶりです、らっくんママです。

2018年になりました。
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

みなさまにとって素晴らしい年になりますよう
心を込めてお祈りしています。

さて、らっくんは相変わらず
定期検診の血液検査も問題なく
毎日元気に過ごしています。

夏に登校拒否していたものの
夏休み明けには、気持ちを切り替え、
一度も休まず、登校しています。

今、3年生のお勉強を終わらせるのに
ヒーヒー言っていますが。。

さて、先日
らっくんの学校、特別支援学校の一三祝いでした。

号泣イベントで、毎年欠かさず行っています。

沖縄では当たり前の一三祝いは
本土出身の私には馴染みがなく、

らっくんが
小学生に上がった時に初めて知りました。

生まれた時の干支が再び巡ってきた
生年祝い(トゥシビー)で、
11歳(5年生)の1月にやります。

今年は戌年で、ゆきんこも年女。
一三祝いです。(先日ドレスを着て写真を撮りました)

小学校の体育館でやる一三祝い。
特別支援学校のお祝いは、とくに盛大にやります。

生まれてすぐに障害があることがわかって、
目の前がグラグラ、、

とても受け入れることができなかった親御さんも、

12年という時間をどんな風に感じて、
育ててきたか、というお話を聞けたり、

赤ちゃんの頃から小学5年生になるまでの
写真をスライドショーで見たり、

お祝いの余興や、歌、カチャーシーまで、
ほんとにおめでたい式でした。

とても印象に残ったあるお母さんの言葉。

「沖縄でこの病気の子はいないというほど、
珍しい病気で生まれたわが娘。

赤ちゃんのころから何度も
手術をしなければならなかった。

この子をかわいそうと思っていた。

でも、今では『かわいそう』と思った時間が
すべてもったいないと思う。

その時間をこの子と笑顔で
過ごしたほうがよかったのに」

と、涙ながらに語られていて、
お母さん、素晴らしいなと思いました。

そうそう、と、うなずく。

だって子どもの方は
ちっとも自分を「かわいそう」なんて
思っていなくて

かわいそうに見えているのは親たちで、

子どものほうからしたら、
大好きなお母さんが悲しんでいるのは
いたたまれない。

そこに早く気づいて、
笑顔を子どもに見せようと、
決意したお母さんをすごいと思います。

障がいを持っている子は
なにもわからない、と
思っていたことが過去にあったけど、

この学校にいるうちに
そうじゃないことがわかってきました。

顔の表情や言葉にできないだけで、
ちゃんとわかっているんだ、と感じるときがある。

どのお母さんも、

障がいを持つ子どもと暮らしていくうちに
その子が天使のような癒しをまわりにふりまいていて、
その子がどんなにかけがえの無い存在か、
ほんとによく知ってる。

そういう思いがあふれて
体育館じゅうに

愛がいっぱいの一三祝いは
涙と笑顔がとまらない会場になります。

先日の一三祝いは、
わたしもこの学校3年目なので、
よく知ってる子もいます。

その子の生まれてから今までのストーリー。
聞けてよかったな。
出会えてよかったな。

2年後はらっくんの番です。

そして、今年は、
らっくん移植して5年になる年です。

この移植5年、再発ナシで迎えることは、
どんな意味を持ってるか、
このブログを読んでいる方でしたら、察しがつくでしょうか。

らっくんが大人になれる、
これからも生きていける、

そんな許しをもらえるような
ひとつの節目です。

この年をどんなに待ち焦がれたか。

移植したばかりで
ヨレヨレの体で退院した時には、

はるか遠い未来のように感じた5年先が
今、目の前にあります。

よくぞ、生き抜いて来てくれたね。

どれだけの人に助けられて生きてきたか。

生きることを許されたことが
どれだけ幸運であるか、

らっくんの魂が
私たち家族と一緒に暮らすという
選択をしてくれて、

本当に感謝の気持ちでいっぱいなのです。


まだまだ面倒をかけてやるぜ!ってことなんでしょうが(笑)

生きてるからこその悩み、
これを十分味わいながら、

楽しく生きることを忘れず、
毎日暮らして生きたいと思います。

一三祝いは、
「生きてるだけでいいんだぜ!」
と確認するお祝いです。

息吸ってるだけでいいんだよ。
生きててくれてありがとう。

どんな人でもそう思ってしまう、
体育館での出来事でした。



本日も最後までお付き合いくださり、
ありがとうございます。

現在治療中のあなたも、
息吸っているだけですごいんです。

あなたが生きているだけで、
どれだけの人が勇気付けられているか、
私が代わりにお礼を言います。

本当にありがとうございます!!
病院を出て、あなたが本来の場所に帰れる日が
近々やってきますように
心からお祈りしています。

白血病骨髄移植小児がん

こんにちは、らっくん母です。

だいぶご無沙汰しています。

実は、らっくん母、、、

”セカチュー”というドラマを
昨日初めて観ました。

主人公の女の子が
白血病ということは

全然知らなかったのです。
昨日まで。


このドラマは
2004年のドラマですから、

わたしが結婚する前であり、
らっくんも生まれていません。

らっくんが白血病になり、
闘病して、元気になり、

発病2010年から
7年経って、

ようやく
このドラマを観れるくらいになったのです。

昨日から泣きっぱなしで、
目がやばいです。

11話まで一気に
見てしまいました。


ドラマを観て、
いろんな思いが込み上げて来てしまい
とにかく涙が止まらなかったのですが、

白血病になった人や、
その家族、恋人のみなさんは、

このドラマを
見ることができるのでしょうか?

多分、きっとわたしは、
7年経ったから、観れたのだと思います。


ドラマの主人公とは
年齢も性別も違いますが、

白血病で弱っていく姿を
看病している母親の姿を

まともに見ることは
できなかったでしょう。

見るには心の準備が
できていなかったでしょう。


去年、わたしは
「がんの子どもを守る会」の
ゆんたく会(おしゃべり会)に参加して来ました。

そこには私のような退院した子の母も来ていましたが、
今も入院治療中のお子さんの母親も来ていました。

中には、告知されたばかりの
おかあさんもいました。


順番に自己紹介をするのですが、

今、まさに
病院で治療中の子供を持つ
お母さんは

みんなの前で立つだけで、
感極まってしまい、

自分の名前をやっと言うことができて、

自分の子供の病名を言うところでは、
泣き崩れてしまいました。

それを見て、わたしは、

「わたしもそうだった。。」

あんな風に人前で
自分の子供の病気のことを
話したりできなかった!

と思いました。

自分の中で受け止めきれていないことを
話すことはできないのです。

毎日、必死で
毎日、血液の数値におびえて、

この先どうなってしまうんだろう、、と
恐怖でいっぱいの毎日。

その時の自分は、
いっぱいいっぱいで。。

まるでセカチューの男の子のように

過敏に泣いてばかりいました。


きっと、今だから

ドラマを見ることができるのだと思います。

そして、あの男の子が流した涙と
同じ涙を自分もたくさん流して来た。

そうして、ゆっくりゆっくりと
心の傷を今癒しているのです。

ドラマを観て
疑似体験することは、

自分の傷も涙で癒しています。

今、泣けない状況にいるあなたも、
数年経って、泣くことで傷が癒されます。

ドラマを観て、スイッチが入っても、
もう過去のことだし、
客観的に見れるので、
とてもいいセラピーになります。

映画セラピーですね。

映画じゃなくても
スイッチが入れば良いんです。

音楽だったり、
絵画だったり、
本だったり、

あなたが体験したつらすぎることを
他の誰かが表現したもので、
疑似体験し、心が癒され、

また強く生きていくことができます。


このドラマで
白血病になった女の子が
治療している時代は
1987年です。

今から30年前です。

この頃は、
不治の病と言われて、
「白血病」と告知できなかったでしょう。

骨髄バンクもなく、
骨髄移植の成功例も少なかったでしょう。

らっくんの主治医も、

「この頃は、毎月毎月誰かが亡くなっていった。

 らっくんも、この頃だったら、、

 助かっていなかったよ」

と言っておられました。

ドラマでも抗がん剤が
ガラス瓶に入っていて、

点滴台が倒れたら、
バッシャーン!って割れるじゃないですか。

抗がん剤は触れると危険なので、
観ていて、作り物とわかっていても
ヒヤヒヤしました。


白血病の特効薬が明日にでもできればいい!
と、ドラマでは願っていました。

30年経って、

抗がん剤もよく効くものが開発されて、
合併症に対処できる治療もあり、
骨髄移植の成功例が多くなって、

延命できる人も増えてきました。

白血病は不治の病ではなくて
「治る病気」になってきています。

どんどん研究が進んで、

もっとたくさんの人が
助かるように、

と願わずにはいられません。


らっくんが元気でいることは、
本当にありがたくて、

毎日が愛おしく、
素晴らしい時間です。

たくさんの患者さんが
救われ、助かり、
普通の生活が送れますよう

心からお祈りしています。













お久しぶりです、らっくん母です。

いつもブログに訪問いただき、
ありがとうございます。

ずいぶんブログを更新していませんが、
らっくんは元気にしています。

4月に小学3年生になり、
担任の先生も変わりました。

毎日順調に楽しく
学校に通っていると思いきや、、

6月の半ばごろに

「学校に行きたくない」

と、登校拒否をしました。

理由を聞いてみますが、
うまく言葉にできません。

行きたくない!
教室に入りたくない!

いつもは一人で車椅子で
ぐんぐん行ってしまうのに、

母が車椅子を押そうとしても
ブレーキをかけて、

下駄箱から先に
進もうとしません。

いったいどうしたのでしょうか?


思えば、、

病院と家しか知らなかった
らっくんが、

肢体不自由児の特別支援学校
小学部に入学し、

普通の小学校より
きめ細やかな体調管理や
安全管理に守られ、

無事に小学生になって2年。

入学時は赤ちゃんのようだった
らっくんが

読み書きを覚え、
計算ができるようになり、

時間を読めるようになり、
勉強以外の活動もできて、

いっぱしの小学生に
なってきました。

担任の先生の愛の指導のおかげです。

3年生になって、

ふと、立ち止まり、

「学校ってなんで、行かなきゃいけないの?」

「学校ってなんで、やることだらけなの?」

と、今まで当たり前にしていたことに
疑問を持ち、考えています。

あの、赤ちゃんらっくんが、
悩んでいます!

どうして、勉強しなきゃいけないの?

どうして、ぼくは車椅子で人にジロジロみられるの?

どうして、ぼくは歩けないの?

どうして、ぼくは、、、?


他者と自分の違いに気づいて
悩んでいます。

自分の取り巻く環境が
すべてイヤになって、

家にずっと閉じこもっていたい気分です。

だけど、それを
言葉にすることができません。

ぐっと奥歯を噛んで、涙をこらえています。

1年生のときは
幼稚園児のように
ワーワー泣いていた
らっくんが

もうワーワー泣かないことに
気づきました。




わたしはらっくんの突然の
登校拒否にすこし動揺しました。

えええ?なんで?
こんな楽しい学校なのに

なんで行きたくないの?


???ばかりです。

でも、今、大切な成長の
時期なのだと思いました。

自分は何者か?

どうして自分は
人と違うのか?

まだまだ答えはでません。

でも、3年生なりに考えて、

3年生なりに抵抗して、

なにか納得したら、
また学校に通えるんだと思います。

だって、学校も
ともだちも

大好きだから。




1学期最後の日

終業式に出るのもイヤ
教室に入るのもイヤ

だけど、、

サングラスとマスクと帽子をかぶってならいいよ。

と妙ないでたちで教室に入り、
「よいこのあゆみ」(通知表)を
もらいました。

反発しているのは、

学校でも
先生でも
親にでもなく

自分自身なのだなぁと

思いました。

自分との折り合いをつけて、
もどっておいで。

まだまだ答えはでないけど、

らっくんはらっくんのままで

すごい奇跡を起こした
すごい子どもなんだよ

無菌室で1ヶ月、
目を開けられずにいても、

ICUで人工呼吸器をつけられても、

必ず帰ってきたよね!

どんな状況になっても

必ずカムバックすると信じています。

がんばって生きていこう!



本日も最後まで
お付き合いくださり
ありがとうございます。

もうすぐ移植して4年の日がきます。

先日の小児科受診の
血液検査も問題無しでした。

ありがとうございます。








白血病

こんにちは、らっくん母です♪

いつもブログを読んでいただいて、
ありがとうございます。

らっくんの闘病、治療に関しては、
1歳半の発病から〜最後の治療まで、
すべて書き切ったと思っています。

(めっちゃ長くなってすみません)

なので、ブログはしばらく
更新していませんでしたが、

この病気を宣告されたお子様のママが、
いまだに読みに来て下さっています。

ありがとうございます♡

毎年、人口2.5万人に対して1人が
この病気になります。

悲しいかな、毎年この病気になる
子どもが何人かはいるのです。


今日は、宣告されたばかりのママへ、
メッセージを送りたくて。。

今、頭まっしろでしょう?

大切な我が子が、
白血病と診断されてしまって、

とても信じられない、
信じたくないですよね。

なのに、治療が
どんどん始まってしまって、

心は置き去りのまま、

毎日、難しい治療と、

検査、検査、

先の見えない不安で、
呆然となっていらっしゃるでしょう。

あまりのことで、
誰にも相談できず、

泣きたいけど、
泣けないでいますね。

わたしも同じ、

まったく同じでした。


この病気を聞いた時は、
とても混乱して、
なにも耳に入ってきません。

カラーだった色さえ、
目に入って来ません。

魂の抜け殻のように、
毎日過ごしていたと思います。

でも、治療は待ったなしで、
どんどん進められて行きます。


ここは、
お子さんの体を優先して、
自分の気持ちは
後回しにしても、
今は大丈夫です。

子どもがすこしでも楽になれば、
お母さんの気持ちも、
グッと楽になります。

だから、治療を優先させてください。

医学を信じられない
ママもいるかもしれません。

でもこの病気に関しては、
日々、研究が進んでいて、
治る確率もグッと上がっています。

だから、深呼吸して、

「白血病は、治る病気」

と、つぶやいてみてください。

お子さんがどんな状態でも、
病院は手を尽くしてくれます。

待たされたり、
病院のルールに
従わないといけなかったり、

いろいろな不満や、
ストレスはあるかもしれません。

でも、手を尽くしてくれます!

今より良い状態に必ずなります。

だから、お母さんがやるべきことは、

信じること。

信じてほしい、

お子さんは治るということ。

医学はすごいということ。

先生は1人で物事を
決めているのではありません。

必ず、チームであなたのお子さんを
全力で治そうとしてくれています。

医師を目指した時から、
ずっとずっと絶え間なく努力して、
勉強してきた頭脳が、
何人も協力して、

あなたのお子さんを
救おうとしています。

もちろん、あなたは、

治療の方針を聞くことができるし、
わからないことは、わかるまで、
説明を聞く権利があります。

人間の体は、
まだまだわからないことも多く、

こうすれば100%こうなる!
という絶対的な数字はないし、

こんなことは、ありえない!
ということが起きたりします。

残念ながら、医師から、
100%大丈夫です、
という言葉を聞くことはないです。

医師は、どう転ぶか本当にわからないのです。

だけど、
その子の全データを駆使して、
最高の結果が出るように、
フル回転で、最適な方法を
見つけてくれようとしています。

これは素人が、口を出すことはできません。

お母さんは、医師が提示した治療方針を、
無下に断ったりはできないですよね。

でも、お母さんは、
たった1人のその子の
母親です。

その子を守れるのは、
生まれてからずっとそばにいた
お母さんだけ。

だから、医師たちのやり方が、
少しでもおかしいと思ったり、

子どもの様子がおかしかったら、
すぐに言うべきです。

お母さんの観察眼には、
どんな医師でも勝てないのです。

だから、自信を持って、
お子さんをよく見て、
なにかおかしいと感じたら、

こんなこと言ったらダメかな?
失礼かな?
と思わずに、

恥かいてもいいから、
言ってみることです。

偉い先生に言えなかったら、

若い先生に言ってみるとか、

看護師さんに言ってみるのです。

看護師さんに言うときは、
必ず、ベテラン看護師さんに
言ってくださいね。

その方が早いのです。


結局、
らっくん母は何が言いたいのかと言うと、、

医学を信じて、治す。

でもお母さんの感覚は間違っていない。


おかしいな、と思ったら、
なんでも言ってみることです。


この子が病気になったのは、

お母さんのせいではありません。

原因は誰にもわからないのです。

誰のせいでもないのです。

子どもにも、

世間にも、

医師たちにも、

絶対に、絶対に、

負い目を持たずに、

堂々としていいのです。


お母さんは、選ばれた人。

この子に選ばれた、
唯一無二の母親です。

「なんで私が、こんなことを背負わなければならないの、、?」

と、思うかもしれません。

「私には、できない」

と、思うかもしれません。

今は、びっくりしているだけで、

本当は、あなたは強い魂の持ち主なのです。

あなたは、あなたのやり方で、
この子と幸せになれるのです。


あなたは、選ばれたお母さん。

この子を幸せに導くことができるから、
選ばれたんですよ。



お医者さんは、
体を治すために、
いろんな手段を使って、
頑張ってくれます。

その力も信じて。

でも一番治す力が強いのは、
お母さんの祈りです。

祈りの力は、科学的にも
証明されるくらい、
人の体に影響を与えます。

だから、お母さんの祈り、愛、想いが、
一番のお薬なのです。

お母さんのお薬=想いが、

不安、恐怖、怒りでいっぱいの場合と、

愛、笑い、楽しい、嬉しいでいっぱいの場合、

どっちが、お子さんの体に良いですか?

お母さんが発する想いは、

ダイレクトに子どもの体に伝わります。


心の中は不安でいっぱいですよね。
打ち消しても打ち消しても、
悪い映像が消えない。

そんな時、

いくら楽しくしよう、笑わなきゃ、とか、
無理ですよね。


心で泣いていても良いから、
言葉だけは、

「大丈夫、上手くいく」

と言っていてください。

言霊は、心の中で思っていることより、
口に出した方が何千倍も現実になります。


心の中で、
コーヒー飲むぞ、
コーヒー飲むぞ、と思っていても、

「紅茶ください」といったら、
何が出て来ますか?

そう、紅茶が現実に出てきます。

口に出す言葉は、
心で思っていなくても、

強力なのです。

だから、強気、強気!

今は、強気で行こう!

お母さんは、後から泣けばいい。

泣いてもいい、っていうタイミングがあったら、
すかさず、泣いてください。

シャワーの時、
車で買い物に出た時、

トイレの時、

頼れる人の前や、
1人の時、

泣いてください。

それは我慢しないで、泣いて。

涙は、必要なの。

涙を流したぶんだけ、
持ちすぎた重いものを流してくれる。

癒しが起こる。

また前に向かって
歩ける気がする。

わたしは何度も泣きました。

らっくんが退院してから、

「白血病」と初めて聞いたあの晩に戻って、
真っ白な私をなぐさめに、ただ、泣いた。

置いてきぼりにした、
自分の気持ちを

あとからでも、
癒すことができる。

泣けるときは泣いて、

泣けないときは、
あとで泣いてもいい。

子どもは未知の可能性があります。

あきらめないで、
いつも良い方の可能性を
信じていましょう。

奇跡だってたくさん起きてる。


らっくんのブログには、
たくさんの祈りが込められています。

不安になったら、
いつでも読みに来てくださいね。

ひとりじゃないよ、

わたしも、あなたと同じところに居たから。

いつでも、声かけてくださいね。

白血病の子どもが
みんな治っちゃう。

らっくんのブログだって、

読んだ人たちが
みんな明るく元気になって、
治癒率上がっちゃう。

そんなブログになりますよ。

あはは。


つたない言葉で、
どのくらいあなたに届いたか、
わかりませんが、、、

本当に気持ちは、
あなたに届いてほしいです。

読んでいただき、
ありがとうございます。

らっくん母より





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学校現在のらっくん

こんにちは、らっくん母です。

この春、らっくんは小学3年生になりました。

毎年、この時期に学年が一つ上がります。

日本全国、子どもたちは
みんな進級するのが当たり前なのですが、

ずっと5歳のまま、
ずっと3歳、
ずっと10歳、
ずっと18歳、、

同じ年齢で止まってしまった子どもたちのこと、
いつも思います。

天国では、学校なんか行ってないよね(笑)

でも、親御さんは、
ランドセル背負わせてあげたかったでしょう。

キラキラ眩しい1年生。

おめでとう。


らっくんは3年生になり、

新しい教室、

新しい担任の先生に変わりました。

ちょっと気取って、
違う学校から来た担任の先生に、
学校を案内したりして。。

少し背伸びしたい年頃になってきました。



将来の目標は

「かっこいい人になる」

3年生の目標は、

「つえで歩けるようになる」

だそうです。

がんばってねー!


毎日、学校からいろんなことを教わって来ます。

「平成30年はあるけど、平成31年はないんだって!」


「心臓の毛を生やすと、びっくりしなくなるんだって。500本くらい」


「イモが、イモがなくなるって!

北海道のイモがなくなると、
ピザポテト(お父さんが好きなポテトチップス)が
食べられなくなるよ!」


などと、ビックリ情報を仕入れて来ます。

一体誰から聞いてくるんだろう?(笑)

毎日、お迎えタイムが楽しみです♪

:::::::::::::::::::

この4月、

ピカピカの1年生になったHちゃん。

無菌室での入学式。

入学と同時に移植をしました。

そして、白血球が上がって
ここ2、3日は正着熱と闘ってます。

がんばれ〜Hちゃんの体さん。

とても頑張っています。

毎日が不安でたまらない時です。

でも、体は生まれ変わろうとしている。

自分の血じゃない細胞が入って来て、
馴染もうとしている。

生きるために、必死で受け入れる。

頑張って!

人間はすごい。

他人の血を受け入れて
生きていけるなんて、

他の動物では、
ありえないこと。

人間だけが、できる!

人間が人間を救うことができる。

とても大変なことだけど、
生きる道があるんだよ。

だから、体さん、
受け入れてください。

仲良くやっていこう。

らっくんには、もう
私たち親の血は流れていないけど、

生きてる!

なぜだか、誰にもわからないけど、

生きてるよ。

信じていこう。

不安になって当たり前。

今は非常時だから、
何が起こるかわからない。

でも、未来はあるって、
信じていこう。

非常時は永遠には続かないから。

もうすぐ無菌室、出れるから。

がんばってね、体さん。

応援してるよー

元気になって、
ランドセル背負って、
小学校行こうね。




骨髄移植、造血幹細胞移植を受ける全ての人が、
助かりますよう。

生きる道がありますよう。

人間が助け合って
生きれるという見本を見せてください。

らっくん母はみんなのこと、

ずっといつも応援しています♡












現在のらっくん

こんにちは、らっくん母です♪

皆さまには、
だいぶご無沙汰でしたね。

最後の治療を書き終えて、
しばらくホッとしていました。

らっくんは、
どうしているのかというと。。。

めちゃめちゃ元気に過ごしています。






この冬もインフルエンザにも
かかりませんでした。

普通の子より、免疫が低いはずなのに、
風邪をひいても、寝込まずに
やり過ごしています。

免疫の数値も普通の子どもと
ほぼ変わりないようです。

2ヶ月ごとの血液検査も、
おかげさまで、問題なし。

本当にありがたいことです。

2度の移植を経験した
あのらっくんが、

小学生になり、
学校生活も順調、

2年生も終わろうとしています。

本日、2年生最後の個人面談があり、

この2年間を振り返りました。

入学したときは、

「本当に学校に通えるのか?」

家で寝てばかりいたらっくん。

ひらがなも読めず、

桃太郎も知らず(笑)

数字も書けない、

体力なし、

超人見知り、

赤ちゃんのようだった
らっくんが、

パソコンで作文を書き、

九九を覚え、

読字力検定8級合格、

人前で歌ったり、

踊ったり、

PPAPラク太郎を披露したり、

小学校でも大活躍。

1年を通して、
体調不良で休む日が
3〜4日と、

本当に、

強くなりました。


「らくは、はっけつびょう?
 だったの?

 なにそれ、美味しいの?」

と、ギャグで言えるほど、
あの頃のことは
ほとんど覚えていないようです。


病気だったことは、
たしかにあったことだけど、

「かこのことは、さくじょします」

と白い紙に書いて、
部屋に貼っています。

らっくんにとっては、

今、今、今がすべて。

目の前のことを、
全力で、がんばっています。





こんなふうに日々を
重ねていくことが、

生きていくこと、なんですね。

なんだか眩しくて、

私も今を精一杯生きているか?

自問自答して、汗。。

この幸せが
毎日続くよう、

日々祈りながら、
みなさんとつながっていきたいと
思っています。

この数ヶ月。

一方的に読者だったり、
知り合いの方々が、

再発、そして、
移植しか道がないと、
宣告されてしまいました。


とても気がかりだけど、
精一杯やれるだけの治療をして、

精一杯生きて、
前に進んでいる。

私とらっくんにできることは、、
元気にしていると、
お伝えすることしかないのです。

この道は、
どうなっているか、
一寸先は闇。

病棟には別な時間が流れてる。

人生のほんのすこしの間、
そこで過ごすだけなのに、
一生分のエネルギーをかけて闘う。

どうか、
そこに、わたしたちの思いが届いて欲しい。

無事にそこを出られるように、
いつもいつも祈っています。

早く治って、
こっちにおいでよ。

待ってるからね。


それでは、
いま、病気と闘っているすべての人に
心からエールと、
全快のお祈りを捧げます!

いつも読んで下さって
ありがとうございます。

らっくん母より



おさがりの洋服をもらって、
ビジネスマンごっこ

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プロフィール
hanau
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ハナオです☆

2008年生まれ 息子 らっくん
2010年、1歳半で若年性骨髄単球性白血病(JMML)と急性骨髄性白血病(AMLのM6)の診断を受け、治療、骨髄移植、3ヶ月後退院。

2013年、4歳で急性骨髄性白血病が再発。骨髄バンクより骨髄移植。
3ヶ月後退院。

現在(2021)12歳、中学1年生。

2006年生まれ 娘 ゆきんこ
満月の夜に自宅出産にて誕生。

弟の病気により、幼い頃から母親と離され、メンタル面で影響が出る。
不登校満喫中の、現在中学2年生!

読谷暮らし。
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